名古屋YWCAの歴史

2013年 創立80周年を迎えました

 名古屋YWCAの歴史は、1930年労働婦人のための憩いの家「友の家」とともに始まりました。


友の家


 日本YWCAによって開設され、女子労働問題の調査や無料宿泊所、職業相談、家庭相談、失業者のための授産事業などが行われました。

 
発会式

 1931年、名古屋YWCAの設立準備が始まり、1933年2月14日にはヴァン・ウィクリー世界YWCA会長を迎えて発会式を行い、東京、横浜、神戸、大阪、京都についで6番目の市Yとして発足しました。
その後、「友の家」事業と合併し、1935年には日本YWCAへの加盟が認められました。

 3万円を目標とした募金運動により、市の中心部に会館をという願いが実り、1940年には東区久屋町に会館を与えられました。総合女学院を開設して第一回の卒業生を社会に送り出しましたが、翌年には太平洋戦争が始まり、戦時体制下、事業内容を変えるなど、苦難の時代を迎えました。1945年3月の名古屋大空襲によって会館も友の家も焼失し、活動を停止しました。

 敗戦の翌年、1945年には焼け跡の中で早くも、金城教会の明星幼稚園において、活動を再開し、配給品を利用した料理クラスや英語クラスが発足しました。

 


ピンク色だった会館

 1950年には木造2階建ての会館が再建され、名古屋市公会堂での市民クリスマスの集いや白川町にあったアメリカ村との交流プログラムなど戦後の活動を本格化させていきました。新しい会館がすぐに手狭になるほど少女部、有職婦人部、家庭婦人部等の活動は活発なものでした。


全国有職婦人セミナー

教育部 料理教室

 1959年には現在の場所に3階建てのビルを建て移転しましたが、その直後、伊勢湾台風が襲来し、会館は救援活動の基地となり炊き出しや現地での臨時託児所などの奉仕活動が80日間に渡って続けられました。
 1960年3月、旧会館を移築して西区に「労働センター」を開館し、年少労働者の宿舎提供と地域に開かれた活動が17年間行われました。働く青少年のための活動や青年男女のグループ、中高生のキャンプや野外活動のほか、働く青少年のための活動の募金なども行われ、小学生から青少年を育てる努力がなされました。国際友好グループも発足し、交流プログラムが活発になりました。


3階建ての会館 裏庭もありました

 1970年、日本YWCAが「核否定の思想に立つ」ことを運動の方針に据え、名古屋YWCAでも核や安保の問題を巡って学習会が開かれ、また、自己の生き方と社会を見つめる学習の場として、託児付きの主婦のための「マザーズ・カレッジ」も1969年から8年間開催されました。「天皇制問題を考える2.11集会」も1975年に第一回が開催され、現在まで続いています。70年代後半から80年代にかけては、核や環境など様々な社会問題を暮らしの問題として捉えて活動の課題としました。


マザーズカレッジ

天皇制問題を考える 2・11集会

ピースアクション

 

 1989年、現在の会館に建て替え、以後現在まで、青少年、女性、福祉、国際の4つの柱を掲げて活動しています。自己尊重・自己主張トレーニングなどの講座、子育て支援など女性の自立支援、女性に対する暴力の問題を考える活動、また、視覚障がい者へのサービスとしての音声訳、点訳、美術館を共に訪ねるガイド、録音電話による情報提供など活動が多様化してきました。

 一方、日本語学校と日本語教師養成講座を開始しました。


現在の名古屋YWCA会館

1999年にはウィメンズカウンセリング名古屋YWCA(女性のための心の相談室)が発足。

カウンセリングやワークショップなどを通して広く活動しています。

また、外国人の子どものための日本語教室「ガリ勉クラブ」や学習につまずきのある子どもたちの支援も始めました。

   


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